2014-05-04
除染と命について
記録をPC・USB不調の為、消失してしまった。
メモなどをみながら復元。
27日の日曜日は当然休日である。除染業務の草刈や集草作業就任後3日行っただけなので、未だ要領をつかめていない。3日間の作業の疲れは特にない。けれども、現場責任者の人達、中間管理職の方々の心労は大変のようだ。家庭サービスがほとんど出来ていないようだ。この問題については見ていきたいと思う。
本日は郡山市へ買物外出をした。G社とA社に共に入りグループを形成した6人で出かけた。仲間の年配者Hさんの案内で出発。川俣町、三春町、郡山市、二本松市、福島市郊外、川俣町を経て宿舎に帰る。阿武隈山系の山肌には桜が満開だった。落葉樹はまだ緑の葉っぱはこれからである。芽吹く直前でもある。
途中の 三春町で古木「滝桜」を見る。樹齢1000年以上のようだ。桜の花は散りつつあった。観光の人々が多かった。郡山市のG社の前を通過し、駅に近い駐車場のあるショッピングモールで食事と各自買物。その一角のツルハドラッグストアで耳栓を買う。同室のO君の鼾対策である。O君の鼾は重症である。改めて触れることにする。
原発事故で放射能汚染された農地や里山、宅地。それを除染する。除染とは、汚染された大地を剥ぎ取ること。草刈も草を刈り取るだけではない。土を抉りとる。土の中が大気に晒され、昆虫が春の日差しのもとに右往左往している。昆虫や微生物の命をどう考える。人間が生きていく上で仕方がないことだ。いつもそう自分に言い聞かせて生きてきた。この問題にぶつかる度に疑問感がまとわりついてくる。けれどもいつの間にか忘れている。
放射能に汚染された大地を除染して人間が住めるようにしていく。これが当たり前の発想だと思っている。けれども除染作業で殺される微生物や昆虫の命について考えると、考え抜かなければならない疑問点が問われてくる。
除染に疑問を抱いている人達がいることを感じている。
先ず、除染で死んでいく微生物や昆虫の命へ、鎮魂の祈りを思い続けよう。食物の命と同様に心深くお祈りをしよう。
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