『ルドルフ・シュタイナー希望のある読書』2024年2月29日(木)89回
2024-02-29


霊は魂と直接結びついているから、魂が魂界全体とひとつになったときはじめて、霊は魂から自由になった自分を感じることができる。」 

128〜135ページ
 「死後の人間の最初の滞在の地である魂の世界は、「欲望の場所」と呼ばれるが、魂のこの状況を知り、それを教義に取りいれているさまざまな宗教体系は、この「欲望の場所」を「煉獄」、「浄火」等と名づけている。
 魂界のもっとも低い領域は、燃える欲望の領域である。死後、この領域を通過する間に、物質生活にかかわる粗野で利己的な欲望が消滅させられる。なぜなら、この欲望をまだ捨てることができずにいる魂は、まさにこの欲望を通して、この領域の力の或る作用をまともに受けざるをえないからである。この作用の起点となるものは、物質生活への、まだ充 たされぬままに残っている欲望である。この魂の共感は、自分の利己的欲求を充たしてくれるものにしか及ぼうとはしない。その他のいたるところには、反感が働いており、その反感が魂を圧倒している。ところがこの場合、欲望は魂界の中では充足させられない物質的享受を求めている。… 」

 「共感と反感が均衡を保っているのが、魂界の第二領域の状態である。死後、これと同じ状態にある人間の魂は、この第二領域の作用を受ける。人生の外的事情に心を奪われたり、感覚の一時的な印象に喜びを求めたりすることが、この状態を作り出す。このような状態にある魂の要求から自由になれない人は、この領域の中に留まり続ける。このような人は、日常の瑣事にいちいちこだわる。しかしその際、共感が特にひとつの事物に向けられることがないから、どんな印象も、特別の影響を与えることなく、急速に通り過ぎる。しかもこの些細な、無価値なもの以外はすべて、このような人の反感を呼び起こす。…」

 「第三に、魂界の中には、共感と願望の支配する状況が観察される。魂は死後、願望の雰囲気をもつすべてのものを通して、この第三の領域の作用を受ける。この願望もまた、成就させることが不可能なので、次第に消滅する。」

 「魂界の第四領域である快と不快の領域は、魂に特別の試練を課す。肉体に宿っているとき、魂は体に関するすべての事柄に関与する。快と不快の働きは、体と結びついている。体が快感と満足感、不快感と不満足感を惹き起す。だから人間は、地上生活において、自分の身体を自分の自我と感じるのである。自己感情と呼ばれるものは、この事実に基づいている。そして人間が感覚的傾向を強くもっていればいる程、その自己感情は、このような特徴をもっている。
 …
 この第四領域の作用は、したがって、肉体即自我の幻想を打破することにある。魂は体 的本性を、もはや本質的なものとは感じなくなる。魂は、体的本性への執着から解放され、純化される。これまで魂を物質界に強く拘束してきたものが、このようにして克服されたので、今や魂は、外へ拡がる共感の諸力を存分に発揮することができるようになる。魂は、いわば自己を脱却して、魂界全体の中へ自分を進んで注ぎ込むようになる。
 以上との関連で、是非述べておかなければならないのは、自殺者の問題である。自殺者は、特別な仕方で、この領域の諸体験に耐えていかなければならない。彼は不自然な手段を用いて肉体を棄てたが、肉体に係わるすべての感情は、そのまま彼の魂の中に残されている。自然死の場合は、肉体の衰弱とともに、肉体に結びついた諸感情も、部分的に消滅していく。自殺者の場合は、突然穴が空けられてしまったという感情が生み出す苦悩の他に、自殺の原因となった充たされぬ欲望と願望とが、苦悩を生み出す。」

 「魂界の第五段階は、魂の光の段階である。この段階では、他のものに対する共感がすでに重要な意味をもつ。この世の生活の中で、低い欲求だけを満足させようとはせず、与えられた環境に対して、喜びと愛情を感じることのできた魂は、この段階に親しみをもつことができる。

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