2024-05-27
R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の11回目の読書です。
今回の読書は「三つの世界」―「三 霊界」(p135〜145)です。
いよいよこの書籍『神智学』から「霊界」について学ぶ時がやってきました。うれしくあり、魂界の学習と共に心身が引き締まり、そして、神妙な気持ちです。「霊界」とはどのような世界なのか。じつは「魂界」について学んでいた時「霊界」についても一部学んでいました。けれども今回からは「霊界」を中心に学習します。しっかり深く広く学びたいと考えております。読書とは書籍の文章を読み進めながら考える作業です。この「場所」では当書籍の文章を記述させていただき、各自、思い巡らし、考えていただきます。不十分な引用記述なので、各自、当書籍の購入をお願いします。
136〜141ページ
「三 霊界」(p135〜145)は次の文章で始まる。
「さて、霊がさらにどのような旅を続けていくのかを考察する前に、霊の歩み入る領域そのものを観察する必要がある。この領域というのは、「霊界」のことである。」
「霊界は物質界と全然似たところがないから、物質的感覚だけに信頼をおく人には、すべてが空想としか思われないであろう。・・・物質界に相応した言語手段が、どれほど不完全にしか霊界の経験を記述できないものか、このことを筆者はこの部分の執筆に際して常に意識していた。
特に強調しておかなければならないのは、霊界が、人間の思考内容を織り成す素材とまったく同じ素材によって織り成されている、ということである。「素材」という言葉も比喩的に用いられているのだが、人間の思考内容の中に生きている素材は、この素材の真の 本性の影であるに過ぎず、図式であるに過ぎない。壁に投影された事物の影がその事物そのものに対するように、人の頭に浮ぶ思考内容は、それが示唆する「霊界」の本性に対している。」
「人間は、霊的感覚が目覚めたとき、ちょうど肉眼が机や椅子を見るように、この思考内 容の本性をはじめて本当に知覚できるようになる。その人の周囲を思考の本性が取り巻く。肉眼は獅子を知覚し、感覚的知覚と結びついた思考は、獅子のこの知覚像に関する思考内 容を図式もしくは影絵としてもつ。霊眼は「霊界」の中で獅子に関する思考内容を、肉眼によって知覚された獅子の物質的形姿と同じ位の生まなましさで、見る。ここでも、魂界 のために用いた比喩が役に立つ。〓〓手術によってはじめて眼が見えるようになった人にとって、周囲が一度に新しい色と光の中に現れるように、霊眼を用いることを学んだ人に とって、周囲は新しい生きた思考内容や霊たちの世界によって満たされるのである。
まず、物質界と魂界に存在するすべての事物や生物の霊的原像が、この世界の中に現れてくる。・・・
・・・問題は、「霊界」の中に、すべての事物の原像が存在する、そして事物や生物の物質的存在形態は、この原像の模像に過ぎない、ということなのである。
・・・
霊界では、一切が絶え間のない活動状態を保ち、止むことのない創造行為を続けている。物質界に存在するような休息、停滞は、ここには存在しない。なぜなら、創造する本性が 原像なのだからである。
原像は、物質界と魂界に生じる一切のものの創造者である。原像の形態は、急速に変化 する。どの原像にも、無数の特殊形態をとる可能性が存する。いわば特殊形態を、自分自身の中から湧き出させる。原像は、一つの形態を産み出すかと思えば、すぐにまた次の新 しい形態を現出させる。そして或る原像と別の原像とは、互に多かれ少なかれ親密な関係にある。それらは孤立して作用することがない。創造活動のために、互に相手の協力を必 要としている。魂界や物質界の中に特定の存在が生じるために、無数の原像が共同で働く ことさえまれでない。
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