2024-12-01
R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の12回目の読書です。
今回の読書は「三つの世界」―「四 死後の霊界における霊」(p146〜163)です。
前回「三 霊界」の次章であり、さらにこの章でも霊界について学んでいくことになります。
先ず146ページに記載がある
「・・・人間の体的本性を貫いて働きかけているものは、霊に他ならず、物体界で作用するための意図、方向は霊からきている。」この文章をおさえておきます。
P147
「・・・地上の活動の目標と意図とは、「霊たちの国」で形成されるのである。」
P148
「人間は、物質の性質や力を、この世の舞台で学ぶ。この舞台の上で、創造活動を行いながら、物質界がそこで働く自分に何を要求するのかについて、経験を蓄積する。そして自分の思想、理念を具体化するための資材の性質を知ることを学ぶ。しかし思想や理念そのものは、素材から吸収することができない。このようにして、地上世界は、創造の場であると同時に、学習の場でもある。「霊界」ではこの学習の成果が、霊の活発な能力に変化させられる。」
P149
「霊は体的本性から解放されて、今やあらゆる方向へ向けて自己を形成し、そして生前の地上の経験の諸成果を、この形成の中に取り込む。だから死後の霊は、常に眼差しを、ふたたび課題を果たすべき舞台である地上に向けており、自分の活動場所としての地球の必然的な発展過程をどこまでも追い続ける。霊は、自分がこの世に生をうける度に、その時点での地球上の変化に応じて尽力できるように、心掛ける。」
同じくp149
「「霊界」における人間の霊の成熟は、そこでの諸領域の事情に通じることによって達成される。・・・」
R・シュタイナーは、霊界を第一領域〜第七領域に区分して示している。
P150〜153
「霊界の第一領域における人間は、地上の事物の霊的原像にとりまかれている。この世の生活においては、思考内容として捉えたこれらの原像の影だけを、人間は知ることができた。地上では単に考えられるだけのものが、この領域では体験されるものとなる。この領域で、人間は思考内容の中を遍歴する。しかしその思考内容というのは、現実の生きた存在なのである。地上生活においては感覚で知覚されたものも、今や思考内容の形式をとって、彼に働きかけてくる。しかもその思考内容は、事物の背後にかくれた影として現れるのではなく、事物を産み出す生命に満ちた現実そのものなのである。人間はいわば、その中で地上の事物が形成される思想工房の中にいる。なぜなら「霊界」では、すべてが生命に満ちた営為であり、活動であるからである。ここでは思想界が、創造し、形成する生きた存在の世界として、活動している。人は、地上で体験したものが如何にして形成されるのかを、見る。肉体をもった人間が感覚的事物を現実として体験するように、今、霊となった人間は、霊の形成する諸力を現実として体験する。
霊界における思考存在の中には、彼自身の肉体的本性の思考内容もまた存在する。人はこの肉体的本性から離れている自分を感じる。霊的存在だけが自分に属すると、感じられる。そして自分の遺体を、もはや物質としてではなく、記憶の中でのように、思考存在として見るとき、その遺体は明らかにすでに外界に属するものとして眼の前に現れる。かっての自分の肉体を、外界の一部分として、外界に属する或る物として、考察することを学ぶ。もはや、自分の体的本性を自分の自我に親和した外界の他の事物から区別しようとはしなくなる。外界全体の中に、自分の身体をも含めて、ひとつの統一性を感じるようになる。自分の身体も、周囲の世界とひとつに融合している。
セ記事を書く
セコメントをする