『ルドルフ・シュタイナー希望のある読書』2024年12月1日(日)91回
2024-12-01


このように、物質的、身体的現実の諸原像を、みずからもそれに属していた統一体として観ることによって、人は環境と自分との親和と統一を次第に学びとる。人は自分に向かって、「今ここでお前の周りに拡がっているものは、かってはお前自身であったのだ」、ということを学ぶ。・・・
 地上生活において影のような思想として把握されていたもの、すべての叡智の目標であったものが、「霊界」においては、直接体験される。というよりも、霊界の生活の中でのひとつの事実であるからこそ、それが地上生活の中で思考されるのである。
このように、人間は霊界に生きるとき、地上生活におけるときの状況と事実とを、高次の立場から、いわば外から、観る。その際、「霊界」の最下位の領域にいる人間は、物質的、身体的な現実と直接係わるような仕方で、地上の状況と向き合っている。
 人間はこの世で、家族、民族の一員としての生をうけ、きまった土地で生活する。このようなすべての事情に、人間の地上生活は規定されている。この世の状況が命じるままに、友達が選ばれ、特定の職業に従事する。これらすべてによって、人間の生活状況が規定される。さて、これらすべては、「霊界」の最初の領域での生活の中で、生きた思考存在として立ち現れてくる。人間はこれらすべてを、一定の仕方で、もう一度、活動する霊の側面から体験しなおすのである。
彼の抱いた家庭愛や友情は、彼の中で内側から甦り、彼の諸能力がこの方向において強められる。家庭愛や友情の力として人間精神の内に働くものが強められる。彼はこの点において、その後より完全な人間としてふたたび地上に生れ変る。
 「霊界」のこの最下位の領域内で成果として実るものは、地上生活上のいわば日常的状況である。そしてこの日常的状況にもっぱら没頭してきた霊的部分は、死から再生に至る霊界生活の主要期間中、この領域に親近感を持ち続けるであろう。
 この世でともに生きてきた人びととは、霊界でも再会する。肉体と結びついたすべてが魂から離れ落ちるように、地上生活において魂と魂とを結びつけていた絆も、物質界でのみ意味や効力をもっている諸制約から解放される。しかし死後、霊界の中においても、地上生活での魂と魂の係わりはすべて存続し続ける。物質的状況を表現する言葉は、霊界に生じる事柄を不正確にしか表現することができないが、しかしこのことを前提とした上で、地上で一緒に暮した魂同士は、霊界で再開し、かつての共同生活を霊界に相応した仕方で継続するということは、まったく正しいであろう。」

P153〜155
 「第二の領域は、地上での共通の生命が思考存在として、いわば「霊界」の液体成分として流れている場所である。肉体をもった人間が世界を観察する場合、生命は個々の生物と結びついた仕方で現象する。霊界ではしかし、生命は個々の生物から分離され、生命の血として、いわば霊界全体を循環する。それは霊界の一切の中に存在するところの、生ある統一体となっている。
 この世での生命は、ただその残照だけが人間に現象し、世界の全体、統一、調和に対して人間が抱くあらゆる形式の畏敬として現れていた。人間の宗教生活は、この残照に由来するのである。生存の包括的意味が、無常のものの中や個々の事物の中にあるのではない、ということを人間はしる。人間は無常なものを永遠なる調和的統一の「比喩」と模像として考察する。人間はこの統一を、畏敬と崇拝との中で仰ぎ見、この統一のために宗教的祭祀を行う。

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