『ルドルフ・シュタイナー希望のある読書』2025年1月27日(月)92回
2025-01-27


R・シュタイナー著『神智学』(高橋巌訳、ちくま学芸文庫)の13回目の読書です。
今回の読書は「三つの世界」―「五 物質界、並びに魂界、霊界とこの物質界との結びつき」(p164〜176)です。
 
 この章を読み進めて特に感じたことは、改めて『神智学』を理解することの難しさを思い知らされます。当書籍を繰り返し何度も繰り返し読むことが必要だと思います。先ず霊学用語を一つ一つ理解していくことが問われます。シュタイナーは論理的に文章を展開していると感じます。それ故に繰り返し読書することで、理解に漕ぎつけることが可能であると感じます。そこには希望が有ります。
「三つの世界」―「五 物質界、並びに魂界、霊界とこの物質界との結びつき」(p164〜176)は改めて、その用語の理解が私には問われています。即理解の難しい文章は先ずそのように押さえておき、繰り返す読書の中で、理解の輝きを見つけたいと思っています。
 この章で先ず次の文章を取り上げました。

P170〜180
 「人間は、植物と動物がもっている能力以外に、感覚内容を再現して思考内容に作りかえ、衝動を思考の力で統禦する能力を身につけている。
 植物の場合、形態として現れ、動物の場合、魂の力として現れる思考内容が、人間の場合、思考内容そのものとして、その本来の形式において現れる。
 動物の本質は魂にあり、人間の本質は霊にある。人間の場合、霊的本性がさらにもう一段低いところにまで降りてきている。動物の場合、この霊的本性は魂を形成する。人間の場合、感覚的素材の世界そのものの中にまで入ってきている。霊は人間の感覚体の中に顕在している。
 ただその霊は、感覚的衣装をまとっているために、思考内容が霊的存在を表現するときの、あの影絵のような反照としてしか顕現することができない。ただ肉体の脳組織の諸条件のもとでのみ、霊は人間の中に現象する。」

P172〜174
 「肉体、エーテル体、感覚的魂体、悟性魂は、霊的原像が感覚界の中に濃縮されたものであるということができる。肉体は人間の原像が感覚的現象にまで濃縮されることによって出現する。だから肉体を、感覚界で可視的になるまでに濃縮された、第一元素界の本性である、ともいうことができる。
 エーテル体が生じるのは、このようにして生じた形態が、感覚界に働きかける非感覚的、不可視的本性によって、生きいきと保たれていることによる。この非感覚的な本性の特質を完全に記そうとするなら、その根源が霊界の最上位の諸領域にあり、その第二領域の中で生命の原像に形成され、そのような原像として感覚界で作用している、という点が先ず述べられねばならない。
 感覚する魂体(アストラル体)を構築する本性も、同様に、その根源を霊界の最上位にもち、その第三領域で魂界の原像にまで形成され、そのような現像として感覚界で作用している。
 しかし悟性魂は、思考する人間の原像が霊界の第四領域で思考内容に形成され、直接思考する人間本性となって感覚界で作用することによって、生じる。
 このような仕方で、人間は感覚界内に立っており、このような仕方で、霊は人間の肉体、エーテル体並びに感覚する魂体に働きかけている。このような仕方で、この霊は悟性魂の中に現出する。
 だから、人間の三つの下位部分(肉体、エーテル体、アストラル体)における原像たちは、ある意味では人間と外的に向かい立つ本性として、人間に協力している。そして悟性魂においては、人間自身が自分に対する(意識的な)作用者になる。
 そして人間の肉体に働きかける本性たちは、鉱物界を形成する本性たちと同一である。人間のエーテル体に働きかける本性たちは、植物界に生きる本性たちと同一であり、感覚する魂体に働きかける本性たちは、動物界で感覚的には知覚できぬ仕方で生きながら、その作用を鉱物界、植物界、動物界にまで及ぼす本性たちと同一である。

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