2024-12-01
「霊界」では、残照ではなく、生きた思考存在として、その現実の形姿が現れる。人間はここでは、地上で崇拝の対象だった統一性と本当にひとつになることができる。宗教生活やそれと関連したすべての事柄の成果が、この領域の中に現れてくる。人間は自分の霊的経験から、個人の運命と個人の属する共同体とを区別すべきでない、と認識する。自分を全体の一員として認識する能力は、この領域で形成される。宗教的な諸感情、高貴な道徳を求める純粋な努力のすべては、霊界における中間状態の大半の時期に、力づけをこの領域から受けとるであろう。そして能力を向上させつつ、この方向に沿って、ふたたび人間は、この世に生を受けるであろう。
人は第一の領域では、生前この世の絆によって身近な縁を結んでいた魂たちとともにいるが、第二の領域では、同じ崇拝対象、同じ信条等によってひとつに結ばれていると感じられたすべての魂たちの領域に入る。ここで強調しておかねばならないが、すでに通過した領域の霊的体験は、それに続く領域の中でも存続し続ける。だから人は、家族、友人等によって結ばれた絆から、第二、第三の領域の生活に入ったあとでも、決して切り離されることはない。
また「霊界」の諸領域は、「仕切られた部屋」のように、互にはっきり区別されているのではない。諸領域は互いに浸透し合っている。そして人は、新しい領域の中へ何らかの仕方で外から「入って」いったからではなく、以前には知覚できなかったものを知覚する内的能力を獲得したからこそ、その新しい領域での体験を持つのである。
P155〜156
「霊界」の第三領域は、魂界の原像を含んでいる。魂界に存在する一切が、この第三領域の中で、生きた思考存在として現れている。欲望、願望、感情等の原像がここに見出される。しかし霊界のこの領域では、如何なる種類の利己的欲求も、その魂には付着していない。第二領域での一切の生活と同じように、この第三領域でも、すべての欲望と願望、すべての快と不快は、ひとつの統一を形成している。他人の欲望、と願望と自分の欲望、と願望とは区別されない。大気が地球をとりまいているように、すべての存在の感情と情緒は、一切を包含するひとつの共通世界なのである。
この領域は「霊界」のいわば大気である。ここでは、人が地上で社会のため、隣人のために、没我的態度で奉仕したときの一切の行為が、実を結ぶのである。なぜなら、このような奉仕によって、人はすでにこの世で「霊界」の第三領域の残照の中に生きていたからである。人類の偉大な慈善家、献身的人物、共同体に大きな奉仕を為した人物は、かって前世において、この領域と特別の親和関係を作ったのちに、この領域でこのような行為のための能力を獲得した人びとなのである。
P156
「以上に述べた「霊界」の三領域が、霊界の下に立つ物質界と魂界とに対して、特定の関係をもっていることは明瞭である。なぜなら、この二つの世界の中で身体をもち、魂をもっているものの原像である、生きた思考存在が、この三領域に存在しているからである。
P156〜158
「純粋な霊界」は、第四の領域とともに始まる。しかしこの領域も、まだ完全な意味でそうなのではない。第四領域が下位の三領域と区別されるのは、これらの三領域で出会うのが、人間自身が物質界と魂界に積極的に働きかける以前に存在している物質的、魂的諸状況の原像だからである。・・・
この世で獲得した科学の成果、芸術の着想と形式、技術の思想は、この第四領域でその成果を実らせている。それ故、芸術家、学者、大発明家は、「霊界」に滞在している間に、彼らの創造衝動をこの領域から受けとり、彼らの天分を高めたからこそ、ふたたび地上に生を受けたときに、人類文化の発展に一層寄与できるようになったのである。
セ記事を書く
セコメントをする